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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

山内和宏(南海ほか)インタビュー<3>1990年6月、シーズン中に中日へトレード「外様と生え抜きの壁が……」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。元南海ほかの山内和宏さんの最終回は、南海・ダイエー時代のお話の続きと、中日で引退したときのお話をうかがいました。
文=落合修一

山内和宏


門田博光さんから1時間の説教


──1983年に18勝10敗というキャリアハイの成績で最多勝のタイトルを獲得しました。

山内 調子自体は(11勝13敗だった)82年のほうが良かったですよ。83年は夏場に疲れて勝てない時期がありました。

──しかし、記録を見ると9月4日の日本ハム戦(後楽園)から閉幕まで7連勝しています。

山内 一生懸命に投げたらたまたまそうなったんですよ。結果的に東尾修さん(西武)と並んで18勝で最多勝だったのですが、僕は南海の最終戦(10月18日、阪急戦=大阪)で単独トップの18勝目を挙げ、東尾さんに1勝差をつけました。しかし、西武はその時点で残り4試合。東尾さんは2勝して僕を追い抜くだろうとあきらめていたんです。そしたら西武は日本シリーズに出るから登板間隔の関係で、東尾さんは1試合しか投げなかった。幸運でしたね。

──タイトルを獲得した感想は。

山内 そのときは何も思わなかったのですが、オフの表彰式に行って、すごいことをやったんだなと実感しました。引退してからも野球に詳しい人から「最多勝だったよね」と言われることがあり、タイトルを獲っておいて良かったと思いますね。

──当時、いくら勝っても優勝できない南海でどのようにモチベーションを保っていましたか。

山内 とにかく、投げるのが楽しかったですよ。肩の回復が早いほうだったので、できるなら中2日でも3日でも投げたかったくらいで。

──対戦が楽しい打者はいましたか。

山内 ロッテ落合博満さんですね。投げづらい打者でしたけど、あの人を打ち取らないと勝てないので。

──どうやって打ち取ったのですか。

山内 打ち取ってないですね(笑)。16打数13安打、5本塁打という年がありました(86年)。『プロ野球ニュース』の「カモと苦手」というコーナーで番組史上最高打率(.813)と言われ(笑)、落合さんの2年連続50本塁打に貢献してしまいました。

──南海と言えば門田博光さんもいました。思い出はありますか。

山内 たくさんあります。僕が先発ローテを外された1年目・・・

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