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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

南渕時高(ロッテほか)インタビュー<3>“NPBラストイヤー”のイチローとプレー「ストイック。あれだけの記録を残すだけのことはある」

 

昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。元ロッテほかでしぶとい打撃を披露した南渕時高さんの最終回は、ロッテから中日へ移籍した現役生活の後半以降のお話です。
文=落合修一

南渕時高


レギュラーから押し出された日々


──ロッテ時代の1995年、広岡達朗GMとバレンタイン監督の体制の思い出は。

南渕 95年は2位に躍進したのに、シーズン後にボビー(バレンタイン監督)が急に辞任しました。自分から辞めたのか、広岡さんが辞めさせたのかは知りません。僕らはボビーが1年限りで辞めるとは思わなかったです。シーズンが終わったときに僕ら主力選手は1人ずつ呼ばれて、来年も頼むぞ、来年は優勝しようという話をボビーとしたので。

──96年は江尻亮監督に。

南渕 勝てなくなりました。内部がガタガタしましたよね。優勝するには個人成績よりも、チームのために自分は何をすべきかを明確に自覚するべきだったのに、そうではなかった。そこは反省ですね。僕自身、自分が二塁手にコンバートされたことを引きずっていましたから。

──そして広岡GMも辞任し、97年には近藤昭仁監督。

南渕 同時に、ルーキー・小坂(小坂誠)が入団してきました。守備では太刀打ちできない。あいつの守備力、走力。抜群でしたよ。僕より全然上。小坂という遊撃手が入団してきて、堀(堀幸一)が二塁に戻ってきたわけですよ。

──二塁手に転向していた南渕さんが押し出されてしまった。

南渕 そういうことです。96年は規定打席に到達していたのに(打率.264)、僕は出られなくなったんですよ。面白くなかったです。自分はチームに必要とされていないなと。近藤監督が本当はどう思っていたのかは分かりませんが、僕はそう思っちゃうんですよ。口に出しては言ってないですよ。でも心の中でそう思っている選手がいたら、チームは勝てないですよ。僕みたいな性格の選手がいたら・・・

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