昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。中日ドラゴンズのエースだった鈴木孝政さんの最終回は、現役生活後半のいろいろな苦労話です。いろいろありました。 文=落合修一 鈴木孝政
肘さえ良ければ小松に負けない
──プロ3年目の1975年から3年連続でリーグ最多セーブ数でした。
鈴木 その真ん中の76年は、防御率(2.98)も1位だったんですよ。
──77年までの
与那嶺要監督はどういう方でしたか。
鈴木 殴られたことがあります。(75年9月7日の)
ヤクルト戦(中日)で先発の
三沢淳さんが8回まで抑えて1対0でリードしていたのですが、9回表の途中からリリーフした俺は
ロジャー・レポーズという選手に逆転2ランを打たれました。
──それで殴られたのですか。野球ならそういう日もありますよね。
鈴木 いや、三沢さんに申し訳なくてベンチでうなだれていたのですが、その裏に1点入って延長になったんですよ。俺は続投しなくてはいけなかったのに、ベンチにいたものだから与那嶺さんに「お前が行かなくて誰が行くんだ!」と2発やられました。ベソをかきながら10回表を抑えて、その裏にサヨナラ勝利です。試合後に監督室に呼ばれました。
──アメリカ人の与那嶺さんが殴ったのが意外です。
鈴木 普段は優しいんですよ。「なんで殴られたか分かるか。お前なら、打たれてもベンチも観客席もみんなが納得するんだ。だから俺は・・・
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