昭和世代のレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。オリックスほかで守備の名手として輝きを放った本西厚博さんの最終回は、現役晩年の阪神、日本ハム、ロッテ時代のお話を伺いました。 文=落合修一 
本西厚博
阪神では「これでは勝てん」
──10年以上を過ごした阪急・オリックスから1997年6月に
吉田義男監督の阪神へトレードされたお話の続きからお願いします。
本西 阪神が横浜遠征中だったので、トレードが決まってすぐに横浜に行きました。さっそく代打で出場しました(6月28日)。
──当時の阪神は今と違って低迷期でしたよね。
本西 そうですね。こう言っちゃ悪いですが、甘いなと思いましたよ。
──甘い?
本西 選手の考えとか。
──前年まで2年連続パ・リーグ優勝のチームから、前年まで2年連続セ・リーグ最下位だったチームに移籍したわけですから、雰囲気は違うでしょうね。
本西 これでは勝てんわな、と感じました。阪神も、個々の選手はいいんですよ。しかし、勝負に対する考えが甘い。移籍2年目の98年、4月はまだ持ちこたえていたのですが、5月以降に負けが込んでズルズルと順位が下がり、最下位になったのですね。そのときに選手の間から「定位置に戻った」と安心するような声が聞こえて、ダメだと思いました。ここにいたら・・・
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