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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

礒部公一(元楽天ほか)インタビュー<3>球界再編騒動では選手会長として奔走「近鉄愛があった」

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昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。元近鉄、楽天の“戦う選手会長”こと礒部公一さん編のラストは、2004年の「球団再編騒動」から楽天で引退するまでのお話を伺いました。
文=落合修一

礒部公一


選手会長のときに合併問題が表面化


──2004年6月にオリックスと近鉄の球団合併が明らかになり、近鉄の選手会長だった礒部さんは大変な「球界再編騒動」の当事者の1人のようになりました。近鉄の球団経営については、そうなる予兆を感じていましたか。

礒部 その年の春季キャンプが始まる前にネーミングライツによって球団名が変わるんじゃないかと経済紙が報じ、そんなに苦しいのかと。しかし、当時オリックスの二軍が「サーパス」という名前でやっていたので、ネーミングライツに抵抗感はありませんでした。そのうち開幕し、いつもどおりのシーズンを過ごしていたところ、6月に「オリックスと合併へ」と報道されたときは本当に驚きました。「別の企業へ売却、身売り」なら分かるんですよ。プロ野球ではあり得ることですから。しかし、合併ってどういうこと? と。そこから激動の3カ月が始まりました。

──合併のニュースのとき、選手たちの反応はどうだったのですか。

礒部 僕はそのとき登録抹消されていて、チームに帯同していなかったんですよ。そこにオリックスの谷(谷佳知)さんから電話が来て、「ウチ(オリックス)と近鉄が一緒になるらしいぞ」と知らされました。「ウソでしょ?」と驚いて、選手会長なので球団代表に連絡し、「どういうことなのか、選手たちに直接説明してください」というお願いをしましたね。それで説明されたのですが、やっぱり「合併ってどういうこと? 11球団になるの?」という釈然としない思いは消えません。そうこうしているうちに、「もう1つの合併」も進行中で、1リーグ10球団にしたいと考えているオーナーも何名かいるらしいと。当時のパ・リーグ球団はどこも経営が苦しく、巨人戦の放映権料を当てにするにはそれがベストだという考え方だったんですね。

──礒部さんはたまたま選手会長だったときに大問題に巻き込まれ、不運だと思いませんでしたか。

礒部 思いますよ(苦笑)。でも、やっているときはそう思わなかったです。自分も「近鉄愛」がありましたから、裏方さんたちも含め、来年からもみんな一緒にやりたい。選手会長なのだからできる限りのことをやりたいと一生懸命になりました。あのとき、プロ野球全体の選手会長が古田敦也さん(ヤクルト)だったのは良かったです。古田さんじゃなければ交渉もうまくいかなかったと思います。非常に助けてもらいました。感謝しかないですね。

──あの年はシーズン中にさまざまな交渉などがあり、多忙だったと思います。野球に集中できましたか。

礒部 外野手なので、守備のときはどうしてもほかのことを考えてしまいます。明日の交渉ではこういう話をしようとか。でも、打撃成績は悪くなかったんですよね。

──打率.309、26本塁打、75打点。優勝した01年に次ぐ好成績で、年間本塁打は自己最多でした。

礒部 投手と対戦しているときはさすがに集中しているので、打つほうはうまくいきましたね。合併問題については・・・

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