昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。今回からはロッテほかで華麗な守りの遊撃手として活躍した水上善雄さんです。まずは神奈川県で過ごしたアマチュア時代のお話から伺いました。 文=落合修一 
水上善雄
「謎のおじさん」と「プールで会った主将」
──神奈川県の出身なのですね。
水上 生まれも育ちも横須賀です。家は佐野町の商店街の布団屋さんで、裏に工場があり、職人さんを雇って布団の打ち直しをするような店でした。私は小さいときから運動が得意だったのですが、横須賀市立鶴久保小3年のときに近所のお兄さんに「ソフトボールで遊ぼうよ」と誘われ、初めてバットで打ったらボールが遠くに飛んだのです。それが気持ち良くて、気持ち良くて……。それからは放課後になると小学校の校庭で、近所の仲間と軟式のボールを使った野球の遊びに夢中になりました。
──小学生のときは、ちゃんとした野球チームに入っていなかった。
水上 はい。そこに謎のおじさんが現れました。小学校の近くに住んでいて、その人が何者か誰も知らないんですけど、ノックをしてくれたり、野球を教えてくれるんです。仕事をしている様子もないし、どうやって生活していたのか、本当に謎だったんです。家にも行きましたが資産家という感じではなかったし、野球をするくらいだから健康で、たぶん当時50歳前後だったと思うのですが。
──謎ですね。
水上 でもそのおじさんのおかげで野球が上達したし、ますます夢中になりました。
──「プロ野球選手・水上善雄」の生みの親(笑)。
水上 謎のおじさんがいなかったら、今の私はないです。高校生の野球部員を連れてきて、一緒に野球をやって教えてくれたこともありました。
──では、中学校で野球部に?
水上 それがいろいろなスポーツを楽しみたくて、最初はバスケ部に入ったのです。1日目に説教があり、1年生は殴られ、私も含めてほとんどが退部しました。次に入ったバレーボール部も同じでした。楽しければ続けたんでしょうけどね。そういう時代だったんですよ。運動部に限らず・・・
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