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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

水上善雄(元ロッテほか)インタビュー<2>ミスター・ロッテにあこがれ「有藤さんになりたかった」

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昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。ロッテほかで華麗な守りの遊撃手として活躍した水上善雄さんの2回目は、プロ入り直後の若手時代の思い出を中心に伺いました。
文=落合修一

水上善雄


ロッテは練習しづらい環境


──1976年に桐蔭学園高からドラフト3位でロッテに入団しました。

水上 3位は意外な高評価でしたが、当時は今と違って契約金も年俸も低かったですよ。1年目の年俸は180万円で、月給は額面で15万円。たぶん、大卒のサラリーマンの新入社員より低かったと思います。若手のころはお金がなかったので、彼女とデートをするのに先輩の選手からお金を借りていましたよ。

──入団当時のロッテはどういう雰囲気のチームでしたか。

水上 本拠地球場がない時代(77年まで)でしたから埼玉県の鶴瀬というところにあった東京証券球場というグラウンドで、チームの合同自主トレがありました。そこに毎日、東京・高円寺の寮から通ったのです。参加すると有藤(有藤通世)さん、山崎(山崎裕之)さん、木樽(木樽正明)さん、村田兆治さんといった方々がいて、圧倒されました。

──いきなり猛者だらけですね。

水上 有藤さんなんか遠くまでポンポン飛ばしていて、私が同じように打つのは絶対にできない。木樽さんら一流投手の投球を見ても、こんなボールを打つのは無理だと思いました。ただ、二塁手が山崎さん、三塁手は有藤さんでレギュラーが固まっていたのですが、遊撃手は飯塚(飯塚佳寛)さんと千田(千田啓介)さんというベテランが併用されている状態。だから私は守備や打撃が評価されたのではなく、若くて生きがいいというだけで期待されていました。高卒2年目(77年)にはもう一軍で44試合に出ていましたね。守備が下手だったので、代走で出ることが多かったですが。

──80年にはダイヤモンド・グラブ賞を受賞しましたよね。上手になったきっかけはあったのですか。

水上 内野守備走塁コーチの河野(河野旭輝)さんに鍛えてもらったおかげです。

──現役時代は阪急などで盗塁王を獲得した河野さん。

水上 ショートの守備のイロハを付きっきりで教えていただきました。河野さんがいなければ・・・

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