昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。ロッテほかで華麗な守りの遊撃手として活躍した水上善雄さんの3回目は、ロッテ時代の思い出を伺いました。 文=落合修一 
水上善雄
送球が最も良かった二塁手は
──ロッテ時代の思い出の続きを。
水上 若いころは年俸が安くて食えなかったですね。オフには建設中の首都高速湾岸線の工事を手伝うアルバイトをしました。今の有明のあたりです。新聞で募集広告を見て、新宿・歌舞伎町の飲み屋さんの面接に行ったこともあります。行ったらヤバそうな店だったので辞退しましたけど。
──反社組織とつながらなくてよかったですね。ところで、当時のロッテのほかの選手の思い出をお聞かせください。リー兄弟はどうでしたか。
水上 お兄ちゃん(
レロン・リー)が先に来日して(77年)、私は英語が得意ではなかったのですが片言でコミュニケーションを取り、仲良くさせてもらいました。彼にはカーレーサーの友達がいて、一緒にレースを筑波まで見に行ったこともあります。リーのマンションに遊びに行くなど、家族ぐるみの付き合いがありました。翌年来日した弟のレオンは日本語をしゃべろうとして、馴染もうとしていました。リーは物静かで、頑固。日本語を話しませんでした。レオンは逆に、陽気でフレンドリー。
──それはメジャーでの実績の差によるプライドの差ですかね
水上 そういうことだと思います。メジャーでの実績があるリーの打撃のアドバイスを、メジャー経験のないレオンは真面目に聞いていました。
──
村田兆治投手の思い出は。
水上 現役時代は、私がエラーをしてマウンドに謝りに行くと、「もうお前のところには打たせないからな!」と吐き捨てるように言われましたね。ただ、そう言いながらも、私がキャンプから猛練習をしていたのを村田さんは見てくれていたので、認めてもらったところはあったと思うんです。だから「お前のところには打たせない」と言われても腹は立たないし、むしろ「はい、そうしてください。そのほうが楽です」と思っていました(笑)。
──79年にプロ入りした
落合博満さんはどうでしたか。
水上 年齢的には落合さんのほうが4つ上です。最初から・・・
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