昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。華麗な守りの遊撃手として活躍した水上善雄さんの最終回は、ロッテ時代の終盤から広島を経てダイエーで現役引退するまでのお話を伺いました。 文=落合修一 
水上善雄
当初は不精、途中から反発
──結果的にロッテ最後のシーズンとなった1989年、水上さんは日本のプロ野球選手としては珍しいくらいの長髪が話題となりました。
水上 もともと少し長めだったのですが、オープン戦で死球を食らって1カ月入院している間に、すごく伸びたんですよ。当初は単なる不精でした。その年は
村田兆治さんが2勝すれば通算200勝だったので、達成する試合では絶対に自分が守っていたい。その思いで4月30日の
日本ハム戦(川崎)から復帰すると、打撃の調子がすごく良かったのです。それでゲン担ぎ的な意味もあり、髪を切らずにいたのです。
──村田さんが200勝を達成した5月13日の日本ハム戦(山形)の時点で打率.382。確かに好調です。
水上 球団からは「ウチはお菓子の会社だ。子どもに悪影響だから髪を切れ」と言われました。そう言われたら、「切りません」と私は反発します。何度も切れと言われ、夜中の1時にホテルの部屋に言いに来られたこともありましたが、「髪を切れば今以上に打てるのでしょうか。現状、これで打っているのだからいいでしょう」と私は言い返していました。村田さんは「お前、絶対に切るなよ」と面白がっていましたね。
──村田さんは「男は短髪じゃないと」みたいな保守的な考えなのかと。
水上 私は練習をちゃんとやって、試合でも結果を残していたからではないですか。
有藤道世監督からも何も言われませんでした。
──球団から「いいぞ、伸ばせ」と言われていたら?
水上 次の日には切っていたでしょうね。要するに、私はあまのじゃくな性格なのです。ある時期からは、反発するために伸ばしていたようなものでした。毎日シャンプーしていたので不潔ではありませんでしたが、今思うと、私は長髪が似合わなかった(笑)。すっきりした髪のほうがカッコ良かったんじゃないですか。
──カッコいいから伸ばしていたわけではないんですよね。
水上 そうです。反発心と、髪を伸ばしてから打撃が好調だったから。私はゲン担ぎ、好きなんですよ。靴下をどっちから履くとか、負けると家から川崎球場に車で行く道を変えるとか。当時のロッテは負けてばかりだったので・・・・・・
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