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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

五十嵐章人(元ロッテほか)インタビュー<2>試合中のアクシデントで突然の捕手起用「サインは適当でした」

 

昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。史上唯一「全守備位置」「全打順本塁打」の両方を記録した五十嵐章人さん(元ロッテオリックス、近鉄)の2回目は、ロッテ時代についてです。
文=落合修一

五十嵐章人


ユーティリティー化のきっかけ


──五十嵐さんがロッテに入団した1991年は、金田正一監督のオリオンズ最後の年でした。

五十嵐 金田監督は試合中に「あいつはどこに行った?」とベンチの中で人を探しているから誰を探しているのだろうと見ていたら、僕のことだったんですよ。ずっと目の前にいたのに。試合後、「自分の出番を考えて常に準備しておけよ」と言われたので、次の日から5回を過ぎたらベンチ前で勝手にキャッチボールをするようにしました。そうすると途中から試合に出してくれるんです。

──金田監督はプロとして、準備の大切さを教えてくれたのですね。

五十嵐 ハチャメチャな人でしたよ(笑)。伊良部(伊良部秀輝)が打たれて、試合中に「お前は浦和(二軍)でもどこでも飛んでいけ!」と激怒。伊良部は二軍落ちとなったのに、次の日に投手コーチに「おい、伊良部はどこに行った?」ですから。

──川崎球場の思い出はありますか。

五十嵐 球場のラーメン屋さんがおいしかったんですよ。選手もよく食べていました。試合前に、新人だから「ラーメンを買ってこい」と先輩から言われ、ユニフォームを脱いでアンダーシャツ姿でファンの人に交じって買っていましたね。

──1年目は89試合に出場。記録を見ると外野しか守っていなくて、その中でもほとんどライトでしたね。

五十嵐 外野手でしたから(笑)。しかし2年目の春季キャンプでケガをして、夏のオールスター休みのときに、この年から就任した八木沢(八木沢荘六)監督に「ファームでショートの練習をしろ。内野のグラブを用意しておけ」と言われ、コンバートされました。僕は足が遅かったから外野だと守備範囲が狭かったんです。だからショートで使いたいという意図があったようですね。

──あの年、本拠地が千葉に移転して、ユニフォームがピンクになったのはどう思いましたか。

五十嵐 最初は「ピンクかよ」と思ったのですが、気にならなくなるんですよね。自分の着ているものは、自分から見えないので。球場は、新しくなったのは良かったんですけど・・・

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