昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。近鉄ほかで活躍した佐野慈紀さんの3回目は、近鉄で中継ぎ投手の頂点に立った時代のお話を中心に伺いました。 文=落合修一 
佐野慈紀
チームが分解した鈴木啓示監督時代
──近鉄は1993年に
鈴木啓示監督が就任しました。
佐野 変わりましたね。94年の開幕戦(4月9日=
西武戦、西武=現ベルーナ)で野茂(
野茂英雄)が8回までノーヒットノーランをやっていたのに9回途中で交代となり、赤堀(
赤堀元之)が慌てて登板して逆転サヨナラ負け。そこから「ん?」という雰囲気になり、選手たちの不安や不満が溜まり、士気も下がりました。間に立つコーチ陣との関係も良くなかったです。
──94年が終わると
金村義明選手が
中日へFA移籍。
阿波野秀幸投手は
巨人にトレード。野茂投手は任意引退してドジャースに入団。
吉井理人投手は95年開幕前に
ヤクルトにトレード。中心選手が続々といなくなりました。
佐野 若い選手の起用が増えました。
中村紀洋とかの世代ですね。若手はガムシャラにできるし、使ってもらえます。ただ、チームは勝てない。吉井さんのトレードは、
米田哲也さんが投手コーチに来た年なんですよ。記者が「先発ローテーションをどう組むんですか?」と聞きたくて吉井さんの名前を挙げたら、米田さんは「え? 吉井はトレードだろ?」と口を滑らせちゃったんです。
──発表前だったのに。
佐野 それを聞いた直後のオープン戦で、福岡で吉井さんが先発したんですけど、かなりイライラしていました。どうせトレードに出されるのにって。で、試合中に、5イニングと言われていたのに4回の途中で交代させられ、完全にキレた。マウンドのプレートにボールを2回バウンドさせてから蹴ったんですよ。もう、大問題。野球選手がボールを故意に蹴るなんてあり得ないですからね。
──背景を知っていれば、怒りは理解できますね。
佐野 僕らは事情を分かっていたから、「そりゃ怒るよな」と。その直後に本当にトレードが決まりました。実はその前にも
佐々木修さんが投手陣を代表して首脳陣に意見を言いに行ったんですが、すぐにファームに落とされた。投手陣だけでなく、野手のほうにも不満がありました。鈴木監督の初年度、最初は
藤井栄治さんがヘッド兼打撃コーチだったんですけど、途中で退団したんです。もう1人の打撃コーチが藤井さんの悪い面を監督に告げ口するところがあったみたいなんですよ。選手はみんな藤井さんを慕っていたのに。チームはバラバラでしたね。
──バラバラな上に、勝てない。
佐野 結果が出ていればまだよかったんですけどね。僕自身も取り残された気分になっていました。ただ、個人的にはそれなりに結果を残していたから変なプライドもできて、これ以上チームを悪くしたくないという気持ちもあり、文句ばかり言っていました。
──文句というのは・・・
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