昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。中日で渋い左打者として活躍した川又米利さんの最終回は、代打の切り札として活躍した現役生活後半の思い出を伺いました。 文=落合修一 
川又米利
代打16本塁打はリーグタイ(当時)
──リーグ優勝した1988年以降、川又さんは代打のほうが多くなっていくわけですか。
川又 そうですね。そこで知らないうちに、僕の通算代打本塁打16本がセ・リーグタイ記録になっていたのです(現在のセ・リーグ記録は元
広島・
阪神の
町田公二郎の20)。
──知らない間に16本も打っていたと。
川又 だから97年に引退するとき、シーズン最後の5試合は毎日、代打で行かせてくださいと監督の星野(
星野仙一)さんにお願いして、セ・リーグ新記録を狙いに行ったんですよ。結局、ライト前のポテンヒット1本しか打てなかったですけど。
──現役後半に代打が多くなると、もう自分は代打の役割に徹するぞと割り切るものですか。それとも、レギュラーで使われたい気持ちを持ち続けていましたか。
川又 同じ代打でも、「切り札」として使ってもらえると気分が違うんですよ。どうでもいい場面では正直、気持ちが入らない。しかし、自分でも試合展開を見て「次にありそうだな」と思ったときに「行ってくれ」と言われると、「来た、来た」と。それで名前を呼ばれて歓声を浴びると、その気になりますよ。「ここは俺に任せろ」みたいな。
──切り札として使ってもらえれば良かったわけですね。
川又 レギュラーなら1試合で4回打席が回ってくるのに、代打はその1打席が勝負。そこで絶対に打てというのは、酷ですよ。「打ってやるぞ」という気持ちはあるにしても、一方では「4回立って打てない奴もいるんだから、1回では打てないよな」という気持ちもどこかにあるんです。
──ダメでもともとみたいな。
川又 そんな感じですね。「打てなくても・・・
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