昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。“ギャオス”こと元ヤクルトほかの内藤尚行さんの最終回は、ロッテ、中日で過ごした日々のお話です。 文=落合修一 
内藤尚行
ロイヤルホストで“別れ話”
──最終回は、ヤクルトのあとの話です。1995年にロッテに移籍したのは、
青柳進捕手との交換トレードでした。
内藤 その話をヤクルトの田口周代表から聞いてお伺いしたのは、「断ったら僕はクビですか」。「ああ、そうや」という返事だったので、「分かりました。ロッテに行きます」と答えました。その足ですぐ古田(
古田敦也)君に相談したくて、一緒にロイヤルホストに行ったんです。戸田で練習の日で、古田君もいたので。
──戸田のロイヤルホストですか。
内藤 はい。94年の秋で、ヤクルトの先輩の
尾花高夫さんがロッテの投手コーチになることが決まっていて、ちょっと前から「お前、ロッテに来いよ」と言われていたんですよ。古田君は「お前もそんな年齢か。じゃあ、行けよ」と。僕は、古田君とバッテリーを組めなくなるのが残念でした。この先、古田君はもっとすごいキャッチャーになるのだろうなと思っていたので、その古田君と野球ができなくなるのかと。ヤクルトというチームを離れること以上に寂しかったんです。しかも、そのときのロッテはやっぱりちょっと弱いイメージがありましたからね。
──94年秋の段階では、ヤクルトからロッテなら弱いチームに行くイメージですよね。
内藤 ところが投手陣を見たらすごかったんですよ。
伊良部秀輝がいて、リリーフには成本(
成本年秀)、河本(
河本育之)がいた。みんなボールが速かった。なんでこれでBクラスなんだろうなって。それからボビー・バレンタイン監督が就任。
──
広岡達朗GMも就任したんですよね。
内藤 大変だったんですよ。何人かのコーチ経由で選手に練習をさせるシステムでした。しかし、ボビーはどちらかと言うともう練習しなくていいからみたいな感じだったんですよね。ある日、試合が終わって翌日の試合がないというとき、ボビーはもう明日はリフレッシュして休もうぜと言いました。ところが、ボビーが日課のウオーキングかジョギングをしにマ
リンスタジアムに来ると、選手たちが練習している。ボビーは「なんで君たちは練習しているんだ」と驚いていました。
──バレンタイン監督は知らなかったわけですね。
内藤 広岡さんからの指示で、コーチに練習させられたんですよ。やっぱりボビーと広岡さんの意思疎通がなかったですね。その日練習したからと言って、うまくなるわけではない。だったら休んでリフレッシュしようというのが・・・
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