昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。ロッテ一筋17年・“ミスター・マリーンズ”こと初芝清さんの2回目は社会人・東芝府中時代の思い出です。 文=落合修一 
初芝清
高校で指名漏れ、東芝府中に滑り込む
──
前回は高校3年夏の大会が終わったところまで伺いました。その後の進路は?
初芝 プロ志望でした。当時(1984年)はプロ志望届がなかったですが僕はプロ一本を公言し、ドラフト当日はドキドキしながら待っていました。
──ところが、指名なし。
初芝 あとから聞いた話では、下位で指名すると
西武から連絡があったらしいのです。しかし、あの年の西武は3位で指名を打ち切ったんですよね。
──1位が
大久保博元選手、2位が
田辺徳雄選手のときですね。
初芝 プロしか考えていなかった僕は就職先を決めていなかったし、大学は経済的な理由で行けない。当時のドラフトは11月ですから、大きいところはみんなセレクションが終わっているわけですよ。
──どうしたんですか。
初芝 二松学舎大付高の前監督の青木久雄先生が社会人・東芝府中と交渉して、新入団選手の枠を特別に1個増やしてくれるように頼んでくれたんです。
──そして始まった社会人生活。
初芝 練習がひどかったですね。
──厳しいということですか。
初芝 はい。同じ高卒の同期がほかに2人いたのですが、その3人は常に居残りで体力練習みたいな感じで。ノック、ランニングと結構な量でした。ただ、そのときはしんどかったのですが、翌日は疲れを感じなかったんですよ。同期の2人は翌日の午前中も疲れた、疲れたとぐったりしていて・・・
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