昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。1980年のスーパールーキー、元日本ハムほかの左腕・木田勇さんの第2回は、2年連続ドラフト重複指名のお話を伺いました。 文=落合修一 
木田勇
社会人野球が華やかだった時代
──1973年に社会人・日本鋼管(企業としては現JFEスチール)に進んだ話の続きから。
木田 7年間いたのですが、僕がデビューしたのは社会人5年目。
梶間健一さんが77年に
ヤクルトに入団して、チームから左投手がいなくなり、やっと起用されるようになったんですよ。それまでの4年間は下積みみたいなものでした。
──長い下積みでしたね。
木田 ただ、2年目のときかな。明大との練習試合で僕が先発して、ある程度抑えたんですよね。試合後、当時の日本鋼管のマネジャー、この方は高倉健の甥っ子で明大野球部のマネジャーもやっていた方なのですが、帰りのバスの中で「おまえ、小西得郎さんって知っているか」と僕に言うんですよ。
──元松竹ロビンスほかの監督で、明大の大物OBですね。
木田 「小西さんがネット裏で今の試合を見ていて、『木田を今すぐ明大に入学させろ』と言っていたぞ」と。そのくらい、よく見えたらしいです。
──すごいじゃないですか。
木田 実現するわけないし・・・
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