昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。今回からはヤクルトで監督、GMなどを務めた小川淳司さん。まずは「外国人選手の思い出」を尋ねました。 文=落合修一 
小川淳司
打撃技術も一流だったホーナー
──
前々号(7月6日号)の『週刊ベースボール』の特集は「スワローズの歴代外国人選手」でした。昨年まで通算40年以上ヤクルト球団で過ごした小川さんにとって、印象に残っている外国人選手は誰ですか。
小川 (雑誌をめくりながら)そうですね……。自分が監督だったときで言えば
バレンティンですし、選手だったときなら
ボブ・ホーナーですかね。そのあとに
パリッシュとかもいたんですけど、やっぱり強烈だったのはホーナーです。
──ホーナー選手は1年だけ(1987年)でしたが、印象深いですか。
小川 すごいインパクトでした。シーズン途中から来て31本塁打。最初の試合(5月5日、
阪神戦=神宮)でホームランを打って、次の日(同カード)に1試合3本塁打。バリバリのメジャー・リーガーということで注目度が高かったんですけど、野球のプレーそのものは本当に素晴らしかったと思います。
──人間的には、どのような人柄だったのですか。
小川 外国人なのでなかなかコミュニケーションを取れなかったのですが、やっぱりプライドはすごく高かったのかなという感じは受けました。それでも野球に対する姿勢はプレーに手を抜くことなく、とにかく常に全力でやっていました。そこは素晴らしかったなと思いますね。だけど試合への準備という面では、ちょっとどうだったのかな。
──当時は
レオン・リー選手もヤクルトにいましたよね。
小川 レオンは
ロッテ、大洋(現
DeNA)で実績があって、ヤクルトでも打っていたんですけど、当時の監督の関根(
関根潤三)さんが、ホーナーのお世話係というか、面倒を見させていたみたいなんですよね。やっぱりレオンは日本の生活が長くて、日本語も少し分かっていたので。遠征に行ったときに帰りのバスなんかはホーナーがいつも一番後ろに座るんですよ。レオンはもともと前に座っていたんですけど、ホーナーに呼ばれて後ろに行って一緒にビールを飲んだりね。レオンは内心で嫌がっていたみたいなんですが、そういう光景を見掛けたりしましたね。
──ホーナー選手はビールのCMで薬師丸ひろ子さんと共演しましたが、本当にビール好きだったのですね。
小川 とにかく打撃の技術とかパワーとか・・・
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