昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。中日、ロッテで二塁手として活躍した上川誠二さんの最終回は、現役晩年から引退後のお話です。 文=落合修一 
上川誠二
カネやんに失望した理由
──ロッテに移籍してからの話の続きです。1990年に
金田正一監督が就任しました。
上川 すごいワンマンというか(笑)。チャンスで打てない選手がいると、ベンチで大きな声で「こいつは勝負弱いやっちゃ」と言うんですよ。それを聞くと、「自分が打てなかったときも、こう言われているんだろうな」と思いますよね。バッターは10回に10回打てるわけじゃない。3割打てばいいんですから。あれはちょっとがっかりしましたね。
──
堀幸一選手、
初芝清選手ら若い内野手も台頭しました。
上川 堀や初芝が出てきて、投手でも伊良部(
伊良部秀輝)、小宮山(
小宮山悟)が主力になってきた。少しずつ世代交代という感じになり、僕の出番は減っていきました。
──91年限りでオリオンズがマリーンズとなり、本拠地も川崎から千葉へ移りました。
上川 川崎を離れる寂しさはありましたけど、千葉へ行ってどうなるんだろうという期待感はありました。汚い球場から新しい球場になるのはうれしかったです。チーム名については僕は途中からオリオンズに入ったので、そこまでの愛着はなかったのが本音ですね。ただ、ピンク色を使った新しいユニフォームについては、正直に言ってもう一つだと思っていました。
──現役最後のころは二軍生活が長くなりました。
上川 92年くらいからだんだんと出番が減って、93年はキャンプから二軍でした。「今年は期待されていないのかな」と思いましたね。その年も何回か一軍には上がりましたけど、ほとんど二軍でした。
──それでも腐らずに練習していた。
上川 結構、真面目に一生懸命やっていましたよ。いい加減にやっていたら、引退後にコーチとして残してもらえなかったかもしれません。「あいつなら若い選手の見本になる」と思ってもらえたんじゃないですかね。
──引退を意識したのはいつごろですか。
上川 最後はずっとファームだったので・・・
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