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レジェンドを訪ねる 昭和世代の言い残し

有田修三(元近鉄ほか)インタビュー<4>近鉄から巨人に移籍「『何や、こいつは』と思われた」

 

昭和生まれのレジェンドの皆さんに、とにかく昔話を聞かせてもらおうという自由なシリーズ連載。捕手として近鉄、巨人などで活躍した有田修三さんの最終回は、巨人移籍後のお話を伺いました。
文=落合修一

有田修三


自身とのトレードを拒否して定岡が引退


──1986年に近鉄から巨人へトレード移籍。当初の交換要員だった定岡正二投手は、近鉄への移籍を拒否して引退しました。

有田 やめんでもええのに。「あと何年かはやれるやろ」と思いましたよ。僕は知り合いを通じて定岡3兄弟とはよう会っていたんです。正二は高校時代、八幡製鐵の入社試験も受けに来ていて、「プロに行かなかったら、ここへ入ります」と言っていた。それだけに、引退すると聞いて驚きましたね。ただ、「近鉄へ行くのが、そんなに嫌なのか」とは思わなかった。巨人はそれだけ特別な球団なんやろうな、と。

──当時の巨人は王貞治監督、江川卓投手、原辰徳選手らスターぞろい。やりづらさはありませんでしたか。

有田 最初はありましたよ。みんなが気を使ってくるし、「何や、こいつは」という雰囲気もあった。特に山倉(山倉和博)は同じ捕手という立場。あいつは思っていることが顔に出るからね(笑)。別に仲が悪かったわけではないですよ。

──バッテリーを組んだ投手で、特に印象に残っているのは。

有田 やっぱり桑田(桑田真澄)でしょう。僕と同じ年に巨人へ入った新人ですけど、モノが違いました。

──まだ18歳でした。

有田 出来上がっていました。構えたところへバチャン、バチャンと来る。何球投げても、打者が手も足も出ないところへバンバン来るんです。「これ以上、伸びしろがないんちゃうか」と思うぐらい、完成されていました。僕がサインを間違えても、球の勢いやコントロールでカバーしてくれた。頭も良かったし、本当にすごい投手でした。

──江川投手はいかがでしたか。

有田 もちろん、モノはNo.1ですよ。ただ、僕が巨人へ行ったころには球威がだいぶ落ちていた。真っすぐとカーブだけで、そのカーブもションベンカーブですよ(笑)。素人が投げるような球で、ほとんど真っすぐしかない。2つに1つだから、リードは難しかったですね。それでも抑えたけどね。

──江川投手と言えば、86年6月26日の阪神戦(後楽園)でランディ・バース選手に7試合連続本塁打を許しました。捕手は有田さんでしたよね。

有田 あれ、ようテレビに出るね(笑)。首を振って、首を振って・・・

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