
1985年4月14日、川崎球場での西武戦。この年の初登板となったロッテ・村田兆治は完投勝利を挙げた
最初は「タコ踊り」と笑われたマサカリ投法
1985年4月14日。ロッテ対西武の2回戦が川崎球場で行われた。ロッテの先発は村田兆治。ストレートと変化球が冴え、西武打線を7回まで無失点に抑える好投を続けていた。しかし4点リードの8回、制球が乱れ2者連続で四球を出してしまう。
83年に右肘の手術を行っていた村田には、医師から厳命されていたことがあった。「絶対に100球以上は投げてはいけない」。この時点で村田の球数は上回っており、右腕にはしびれがあった。球数制限を知っている
稲尾和久監督がベンチから飛び出し、マウンドに向かった──。
◎
村田は一度決めたらやり通す強い意志を持った男だった。入団4年目(71年)、剛速球を持ちながら制球難を抱えていた村田は・・・
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