
1957年途中に阪急へ入団し、78年までの実働21年間で187勝を挙げた大投手が、79年にテスト入団した巨人で15試合に登板した
阪急が強くなると成績は下降線を辿る
1979年12月13日。あるベテラン投手が巨人を自由契約になった。
名を、
石井茂雄という。
若い読者の中には、その名に聞き覚えがないという人もいるかもしれない。無理もない。現在ではあまり語られない投手だからだ。しかし彼の成績を知れば、なぜ語られないのかと驚くだろう。通算勝利数は歴代28位(2023年現在)の189勝。押しも押されもせぬ大投手だった。
石井が主に活躍したのは1960年代の阪急である。セとパの人気に大きな差があった時代、注目されることが少ないチームだった。そんな中でも当時の阪急には「ヨネカジ」と称された
米田哲也(通算350勝)と
梶本隆夫(同254勝)、下手投げの
足立光宏(同187勝)といった今なお語り継がれる個性派投手がそろっていた。だが、いかんせん石井は地味だった。無口であり、かつ飄々(ひょうひょう)とした性格だったという。獲得したタイトルは67年の最高勝率(.692。9勝4敗)のみ。64年には28勝を挙げたが、30勝の
小山正明(東京)に次ぐ2位に終わった。
西本幸雄監督の下、初優勝した67年から黄金時代を築くチームにあって、そのころから成績が落ち始めるという巡り合わせの悪さもあった。4度出場した日本シリーズではついに勝利投手になることはできず・・・
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