
当時はラバーではなくコンクリートだった川崎球場のフェンスに頭から激突した阪神・佐野[左]を、池辺は介抱した
祝日のデーゲーム、9回裏の出来事だった
その事故が起きたのは1977年4月29日、川崎球場で行われた大洋対阪神の3回戦でのことだった。
ホームランの打ち合いとなった試合は、7対6と阪神1点リードで9回裏、大洋最後の攻撃を迎えた。一死の場面で
福嶋久晃が阪神の抑え投手・
山本和行から左安打を放つ。同点のランナーが出塁した。次の打者は代打の清水透。清水は強烈な打球をレフト方向に放った。打球が鋭く伸びる。左翼手の
佐野仙好は、それを背走しながら追いかけた。そしてつかんだ。だが次の瞬間、佐野はラバーの貼られていなかったコンクリートむき出しのフェンスに頭から突っ込んだ。その衝撃音は、100メートルほど離れた記者席にまで達したほどだったという。
中大で強打の内野手として鳴らした佐野は、74年にドラフト1位で阪神に入団した。三塁でのレギュラー獲得を期待されていたが、やがてそのポジションは同年6位で習志野高から入った
掛布雅之が守るようになる。そのため佐野は外野への転向を余儀なくされた。入団以来、打率が2割台前半と伸び悩んでいた佐野だったが、77年は違った。スタメンに定着するとその打撃力が開花し、事故の時点で打率は.338を記録、4回には満塁弾を放っていた。入団4年目、まさにこれからという選手だった。その佐野が、ボールを持ったまま動かない。頭蓋骨を骨折していたのだった。
真っ先に駆け寄ったのは、中堅手の
池辺巌だった。75年に
ロッテから移籍してきた33歳のベテランである。池辺は懸命に佐野を介抱した。
インプレー中であったが、グラブ内のボールなど目もくれなかった(そのため一塁走者はタッチアップで同点のホームを踏むことになる)。そのとき池辺の脳裏に浮かんでいたのは・・・
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