
甲子園を沸かせた「平成の怪物」こと西武・松坂大輔が、西武ドーム[現ベルーナ]で当時の日本球界最高の打者だったイチロー[オリックス]と初めて対戦。3打席連続三振に仕留めた
現実離れした漫画のような投手
まるで漫画のようだ。いや漫画でもあり得ない──。
大谷翔平(ドジャース)が想像を絶する活躍を見せるたび、人々はしばしば驚きとともにそうつぶやく。
今から四半世紀前、その存在を前に思わず同じ言葉を漏らしてしまう投手がいた。松坂大輔である。1998年、春のセンバツを制し、連覇をかけて夏の甲子園に乗り込んできた横浜高のエースは、8月20日の準々決勝(対PL学園高)で延長17回、250球を投げ切って勝利を収めた。そして翌日の準決勝(対明徳義塾高)でもリリーフに上がって劇的なサヨナラ勝ちを呼び込み、22日の決勝戦(対京都成章高)ではノーヒットノーランを達成してチームに深紅の大優勝旗をもたらした。
まるで漫画のようだった。いや、漫画でもあり得ない。漫画家がこんな話を編集者に持ち込んだら、もっとリアリティーを出せと描き直しを命じられたに違いない。まるで大谷のような現実離れの活躍をしたのが、あの夏の松坂だったのである。
「平成の怪物」。松坂はそう呼ばれた。甲子園の活躍だけでもその名は残り、語り継がれたに違いない。だが「怪物伝説」には続きがあった。99年、3球団競合の末に西武に入団すると、初登板となった4月7日の
日本ハム戦(東京ドーム)では4万4000人の大観衆の前で自己最速の155キロのストレートを披露し、巧打者・
片岡篤史から空振り三振を奪った(8回2失点で勝利投手)。4月21日の
ロッテ戦(千葉マリン)で
黒木知宏との投げ合いに敗れ「リベンジ」を誓うと、同27日(西武ドーム)に再び対戦したロッテを相手に10奪三振でプロ初完封勝利を収め復讐を果たした。投げるたびに伝説が積み重なっていった。笑うと表情にあどけなさが残る18歳の「怪物」に、日本中が熱狂したのであった。
松坂はこの年、高卒1年目にして16勝を挙げて最多勝と新人王に輝いた。数多くの伝説に彩られた1年となったが、そのハイライトを挙げるとすれば・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン