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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1980年5月28日>前人未到にしてNPB史上唯一の金字塔。張本勲が3000安打を達成

 

通算3000本目の安打が阪急戦[川崎]で山口高志[左]から打った本塁打だった張本は、ベースを踏んだことを確認しながらダイヤモンドを一周する[右は一塁手・加藤秀司]


「あと39安打」で巨人から戦力外に


 史上1位の通算3085安打。日本プロ野球に燦然(さんぜん)と輝く大記録を打ち立てた張本勲は、逆境をたゆまぬ努力で克服した打者だった。

 幼少期に負ったやけどにより張本の右手の小指と薬指は不自由で、そのため極端に握力がなかった。

「いい左バッターというのは、右手と左手の力の割合は6対4ぐらいなんです。ところが、私は右手が1から2、左手が8から9でした」

 高校時代までは実質左手だけで強打を放った張本だったが、このままではプロでは通用しない。1959年に浪華商高(現大体大浪商高)から東映フライヤーズ(現日本ハム)に入団した張本は、そこで名打撃コーチの松木謙治郎に出会う。松木の指導により右手強化のための猛練習が始まった。右手1本でのティーバッティングが毎日500〜600本繰り返された。激しい痛みに耐えながらバットが体の一部になるくらいに振り込んだ。そうして張本は高卒1年目で見事、新人王に輝いた。

 張本の努力はその後も続いた。それは文字どおり血のにじむ鍛錬であった。バットを猛烈に振っていると、やがて手の平のマメが潰(つぶ)れて血が出た。赤チンを塗ったが、それでも血が噴き出る。すると張本は手に包帯を巻いた。包帯はやがて肉に食い込み、痛みで手から感覚が消えた。バットがすっぽ抜けた。それを防ぐため、今度は自転車のチューブできつく手を縛った。練習を終えると、張本は水道の水を掛けながら肉に食い込んだ包帯を一枚一枚はがしていったという。そして試合後自宅に帰ると、休むことなく同じ練習をもう一度繰り返した・・・

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