週刊ベースボールONLINE

あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1973年6月2日>抑え投手の宿命? 南海の切り札・佐藤道郎が3試合連続サヨナラ被弾

 

その3試合の写真は弊社に残されていない。その3試合を迎える前、佐藤のシーズン被本塁打は41イニングでわずか1本だけだった


規定投球回に到達したリリーフ投手


 1970年に日大からドラフト1位で南海に入団した佐藤道郎は、とにかくタフな投手だった。

 球速こそ目を見張るものではなかったが、強気でありながら同時に緩急を自在に操る頭脳的な投球が選手兼任監督の野村克也から「実戦向き」と評価され、1年目から積極的に起用された。リーグ最多の55試合に登板し、18勝をマーク。特筆すべきは、うち52試合がリリーフ登板だったにもかかわらず規定投球回数に達したことだ(144回2/3)。防御率2.05はリーグ1位。当然のように新人王にも選ばれた。

 佐藤の右腕はその後もフル回転を続けた。72年には6月29日から7月18日にかけて、現在もパ・リーグ記録の11試合連続登板を果たしている。その間投げたイニングは21回なので、1試合平均で約2回投げている計算になる。この年の佐藤はリーグトップの64試合に投げて再び規定投球回数に到達したが、それも納得の「鉄腕」ぶりだ。当時はまだセーブ制度はなかったものの(74年から)、佐藤は押しも押されもせぬ南海の「抑えの切り札」であった。

 その佐藤が、いまだに破られていない「日本記録」を樹立したのは、投手として脂の乗り切った73年のことであった。

 この年からパ・リーグはシーズン前後期制を採用したが、南海は前期にロッテと激しい首位争いを演じた。5月30日、後楽園球場での直接対決、ダブルヘッダー第1試合に勝利したことで南海は首位ロッテに0.5ゲーム差に迫った。この試合にも8回途中から登板した佐藤は、1回2/3を投げて試合を締めている。

 続く第2試合、首位奪取を目論む南海は1試合目の勢いのままゲームを優位に進め、3対1と2点リードで9回裏のロッテの攻撃を迎えた。マウンドに立つのは8回一死から投げている佐藤である。チーム38試合目にして実に21試合目、5連投目となる登板だった。その疲れもあったか、佐藤は1点を失い、なお一死一、二塁のピンチを招いてしまう。打席には代打の榊親一。ノーボール・ワンストライクからの2球目だった。榊はバットを鋭く振り抜くと、打球はレフトスタンドに消えた。代打逆転サヨナラ3ランだった。勝利目前での思わぬ被弾に、佐藤はグラブをたたきつけた。

 それまでの佐藤の被本塁打は42イニングでわずか1本に過ぎない。だがこの試合から、佐藤はまるで「魔」に魅入られたかのように立て続けにホームランを浴びることになる。

「絶対に破られない」と野村克也は言った


 続く6月1日の阪急戦(西宮)、4対3、7回裏二死の場面で野村は「抑えの切り札」に登板を命じた。

「2点差のときはまだミチ(佐藤)のことは考えてなかった。でも1点差になったらあれしかおらん」(野村)

 7回こそ切り抜けた佐藤だったが、しかし8回に代打・中沢伸二のタイムリーで同点に追いつかれてしまう。それでも野村は佐藤を代えない。9回裏、佐藤は先頭打者の代打・岡田幸喜を三飛に打ち取った。打順は一番にかえり、福本豊が左打席に入る。歯を食いしばって佐藤はストレートを投じた。だが福本のバットがそれをとらえた。そして打球はライトスタンドに飛び込んでいった。

 2試合連続でサヨナラ弾を浴びた佐藤に、野村は言った。

「ミチ、2度あることは3度あるというけど気にするな」

 それでも、2度あることが3度起きてしまったのが、続く6月2日の阪急戦(ダブルヘッダー第1試合)だった。試合は7対7のまま延長戦に入る。延長10回裏から登板した佐藤は阪急打線を4者連続で抑えた。しかしその好投も5人目、四番の長池徳二で途切れた。長池は引っ張り専門の右のスラッガーである。だが佐藤の初球外角ストレートを、顔をレフトに向けながらはじき返した打球は逆方向へ飛んだ。舞い上がった白球は際どく切れず、無情にも右翼ポールに直撃した。

 それまでも2試合連続でサヨナラホームランを喫した投手はいた。それ以降もいる。しかし3試合連続となると佐藤しかいない。野村をして「絶対に破られない」と言わしめた日本記録が誕生した瞬間だった。

 それは一見不名誉に思える記録である。それも見方を変えれば、どれだけ打たれても野村の佐藤への信頼感は失われなかったということでもある。大投手・金田正一は、400勝したこと以上に298敗したことのほうが誇りであると語っているが、佐藤の日本記録は、何度期待を裏切ってもそれ以上に期待に応え続けた証しであるとも言えるだろう。

 この年、前期優勝を果たした南海は、後期優勝の阪急をプレーオフで破りリーグ制覇を成し遂げた。そのプレーオフでMVPに輝いたのは、3勝中2勝を挙げた佐藤であった。

佐藤はポストシーズンでも活躍した。1973年の南海はプレーオフを制し、巨人との日本シリーズに出場している[捕手・野村克也、打者・堀内恒夫]


 佐藤は通算500試合登板を置き土産に大洋で引退後、ロッテ、中日、近鉄で投手コーチを歴任した。「ヘッド」でなく「ハートコーチ」でありたいと思った佐藤は、親身な指導で多くの投手のハートをつかみ、慕われた。サヨナラヒットを打たれた投手にはこう言って励ましたという。

「何、ショボくれてんだ! 俺は3試合連続だよ!」(文=キタトシオ)
あの日、あのとき、あの場所で

あの日、あのとき、あの場所で

球界の記念日にタイムスリップ

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング