前年の対戦成績は打率.588、3HR
中日のアンダースロー投手・小川健太郎には悩みがあった。どうしても抑えられない天敵と呼ぶべき打者がいたのだ。
その名は王貞治。巨人の、いや球界の主砲である。独特の一本足打法から振り抜かれるバットは、小川の投げる球をことごとく真芯でとらえた。
小川に実力がなかったわけではない。明善高から入った東映(現
日本ハム)を2年で退団し、ノンプロを経て1964年に中日でプロ野球に復帰したとき、小川は30歳になっていた。しかし「ノンプロの給料じゃ家族(子どもが3人いた)を食わしていけんしね」とうそぶく遅れてきた新鋭は、それから年齢を感じさせない活躍を見せる。65、66年と2年連続で17勝をマーク。67年には29勝を挙げ最多勝に輝くとともに沢村賞も受賞した。下手から投じられるシンカーは一度浮き上がってから落ち、カーブは鋭く曲がった。
しかし王には歯が立たない。直近3年の対戦成績は次のとおりである。
66年 19打数9安打(3本塁打)、打率.474
67年 22打数9安打(2本塁打)、打率.409
68年 17打数10安打(3本塁打)、打率.588
正攻法ではラチがあかなかった。ではどうするか・・・
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