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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1977年7月6日>「師匠」が持っていた通算盗塁のNPB記録を、目の前で破った福本の心境

 

福本が広瀬の数字を更新する通算597個目の盗塁を決めたのは偶然にも南海戦。広瀬はこのとき、センターを守っていた[左は遊撃手の定岡智秋、中央は二塁手の桜井輝秀]


2人の共通認識は「盗塁は勝利のため」


 パ・リーグで盗塁王が正式なタイトルとなったのは1964年のことである。きっかけは南海の広瀬叔功だった。打率.366で首位打者に輝く一方で、リーグ最多の72盗塁、当時NPB記録のシーズン31連続盗塁をマーク。その「足」が注目されたことで、連盟は最多盗塁選手を表彰するようになったのである。

 広瀬は天性のアスリートだった。大竹高時代は、本格的に練習したのはわずか数日間という走り幅跳び競技で国体出場まであと一歩の成績を残し、早大と順天堂大から陸上選手として勧誘されたほど。リーグ屈指の俊足を誇った外野手だった。

 そのスピードは何よりも盗塁で発揮された。帰塁に絶対的な自信を持っていた広瀬は、塁上で他の選手よりも大きな平均3.75メートルのリードを取ると、投手のステップする足先を凝視した。そして行けると判断すれば躊躇(ちゅうちょ)なくスタートを切り、勢いそのままのスライディングでベースに滑り込んだ。

 61年から65年にかけて5年連続で盗塁王を獲得した広瀬だったが、数にこだわりはなかった。「その気になれば盗塁はいつでもできる気持ちはあった。記録のために走ったり、無駄な盗塁は一度もなかった」「盗塁には走るべきときと走る者のプライドがある」と広瀬は語る。盗塁はあくまで勝利のための手段であり、点差が開けば仕掛けることはなかった。

 それでも順調に盗塁数を伸ばしていった広瀬は70年8月2日の近鉄戦(日生)で通算480個目の盗塁を決め、チームの先輩である木塚忠助が持つNPB記録を更新した。

 その70年に75盗塁を記録し、初の盗塁王に輝いたのが・・・

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