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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1975年7月17日>因縁の相手からのサヨナラ弾で節目の通算1000打点を達成。その後“無冠の帝王”を返上へ

 

その試合は前半戦ラストゲームだった。5日後の7月22日、神宮で行われたオールスター第3戦で土井は全セの先発・安田猛[ヤクルト]から2ラン本塁打を放ち、MVPに選出された


近鉄時代はタイトルを獲れず


 通算2452安打、465本塁打を誇る大打者・土井正博は、1本の安打も打つことなく、1年でプロ野球の世界から消えるはずだった。

 1961年、土井は大鉄高(現阪南大高)を中退し近鉄に入団した。この年の近鉄はNPB記録のシーズン103敗を喫し、当然のごとく最下位に沈んだが、土井は二軍で3割を超える打率を残しながら一軍の打席に立つことはなかった。監督の千葉茂が、バットを大振りする土井の打撃を嫌ったためである。結果、土井はわずか1年で整理対象になった。

 だが、ここで土井の運命が変わる出来事があった。成績不振で解任された千葉に代わり、別当薫が新監督に就任したのである。自身がスラッガーでもあった別当は、土井の長打力とボールを呼び込む呼吸に天性の才能を感じた。

(この男はパ・リーグだけじゃない。球史に残る大打者になる……)

 こうして土井のクビはつながった。その土井を別当は翌年のオープン戦で四番に起用した。「18歳の四番打者」である。シーズンに入ると六番での出場が多く、成績は打率.231、5本塁打と振るわなかったが、それでも別当は土井を使い続けた。周囲の厳しい目もあり、時には弱音を吐くこともあった土井を別当は叱咤激励した。

「近鉄はこのままでは立ち直ることはできない。若手が出てきて活性化しないとチームは立ち直れない。だから何とか頑張れ」

 こうして打席に立ち続けた土井は・・・

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