この年の6月、代打HR記録を更新

　1974年7月21日、後楽園球場にてオールスターゲーム第1戦が開かれた。試合は2対1でセ・リーグがリードした状況で9回裏一死一塁、パ・リーグの攻撃を迎えていた。

　マウンドに立つのは7回から登板している松岡弘(ヤクルト)。前年21勝を挙げた速球派右腕は、ここまで出した走者は直前に内野安打を打たれた土井正博(近鉄)1人だけと、ほぼ完璧な投球を見せていた。

「おう高井、行くぞ」

　パ・リーグを率いる南海の野村克也選手兼任監督が、高井保弘(阪急)に声を掛けたのはそのときだった。プロ11年目の29歳。チームでは代打専門で、規定打席に到達したことは一度もない。当然年俸は低く、打撃用手袋は新しいものが買えないためボロボロで、バットも同僚の住友平のお古だった。スター選手が集う「夢の舞台」には一見不釣り合いな男は、しかしひそかに燃えていた。

　高井は右打席に入りバットを構えた。そして松岡を見た。正確に言えば、その視線の先にあったのは松岡の左ヒジだった。それだけを高井は恐るべき集中力でにらみつけた──。

　高井が名古屋日産から阪急に入団したのは64年のことである。二軍ではその実力を発揮し、首位打者1回、本塁打王と打点王を2回ずつ獲得する活躍を見せたが・・・