
逆転優勝を目指して上り調子だった横浜は本拠地でのヤクルトとの首位攻防戦に臨んだが、石井一久のノーヒットノーランに勢いを止められた
横浜が連勝なら1.5差に接近
1997年のセ・リーグ、そのシーズン終盤の9月、開幕から首位の座を守り独走を続けていたヤクルトに「待った」をかけた球団が現れた。横浜である。
開幕前、前年5位の横浜の下馬評は低かった。4月終了時は最下位。7月2日の時点で順位を4位まで上げていたが、それでもヤクルトとは14ゲームもの差があった。
そんな横浜が、7月以降に怒とうの快進撃を見せる。
石井琢朗、
鈴木尚典、
ロバート・ローズといった好打者たちがそろったマシンガン打線は途切れることなく安打を放ち、「大魔神」
佐々木主浩は絶対的な投球でセーブを重ねた。7~8月の成績は33勝11敗。横浜は2位に躍進し、8月終了時点でヤクルトとのゲーム差を3.5まで詰めたのである。ヤクルトの、そして37年ぶりの優勝の背中が、はっきりと見え始めていた。
熱気が横浜の街全体を包んだ。地元の政財界は支援を約束、ファンは球場に殺到した。それがピークを迎えたのは9月2日、ヤクルトとの首位攻防戦(横浜)である。翌日も含めた2連戦に連勝すればゲーム差は1.5に縮まる。押し寄せた地元ファンの波は三塁側まで達し、超満員の球場を横浜一色に染め上げた。
横浜の先発は、この年急成長を遂げた
戸叶尚。ここまで9勝中5勝をヤクルトから挙げるなど相性は抜群だった。一方、ヤクルトの先発・石井一久は対横浜0勝2敗。どう考えても横浜の勝利は揺るがない。客観的にはそう思える一戦であった。
1回裏、さっそく横浜はチャンスをつかんだ。先頭打者の石井琢朗が四球で出塁すると・・・
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