
9回裏に「サヨナラ2ラン」を放って大喜びでホームインした阪神・八木[右]だったが、本塁打の判定はエンタイトル二塁打に変わった
「暗黒時代」に唯一、Vの望みがあった年
2018年にリクエスト制度が導入されるまで、NPBの試合で審判の判定が覆ることはめったになかった。リプレー映像が限りなく「クロ」であっても、である。ある審判などは後日明らかな誤審を示す写真を見せられても「写真のほうが間違っている」と言い放ったほどで、それだけ審判が一度下した判定は重いものだった。
そんな判定が、怒号の嵐の中で覆った試合があった。しかもシーズン終盤、激しい優勝争いの真っただ中でだ。30年以上経った今でも阪神ファンの間で語り継がれる「誤審」があったのは、1992年9月11日のことであった。
87年、前々年の日本一がウソのように負け続けた阪神は首位と37.5ゲーム差の最下位に転落すると、長きにわたる低迷期を迎えた。オフに
星野仙一が監督となった2001年までの15年間で、阪神は14回のBクラス。うち最下位は10回を数えた。球史に残る暗黒時代であった。
その中で、ただ一度だけ「ダメ虎」が輝いた年があった。1992年である。
仲田幸司、
中込伸、
湯舟敏郎といった投手陣が奮闘し、
亀山努と
新庄剛志の「亀新コンビ」が打線を引っ張った。その勢いは球宴後も衰えず、9月に入ってもチームは優勝圏内にあった。
そんな阪神の前に強敵として立ちふさがったのが
ヤクルトである。78年の初優勝以来低迷が続いていたヤクルトだったが・・・
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