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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1968年9月17日>新記録を更新する三振を「盟主」から狙って奪った「球界の反逆児」

 

この試合の4回表に王貞治から三振を奪った江夏だったが「新記録更新」ではなく「タイ記録到達」と判明したため、7回表の王の打席で改めて三振を奪った


権威に異を唱えた学生運動の時代


 もしも江夏豊巨人でプレーしていたらどうなっていたかと考えることがある。その可能性がなかったわけではない。1966年度の第1次ドラフトで、江夏は4球団からドラフト1位指名を受けた。抽選の末に阪神へ入団したが、残りの3球団の一つが巨人だったからだ。

「反逆児」、「一匹狼」と呼ばれた江夏だったが、意外と川上哲治監督の管理野球に順応し、節制に努め、王貞治、長嶋茂雄らV9打線の援護を得た結果、実際に挙げた206以上の勝ち星を稼いだかもしれない。

 もっとも巨人・江夏がどれだけの成績を残したとしても、それはもはや「江夏豊」ではないだろう。

 68年、日本は燃えていた。高度経済成長も10年を過ぎ、物質的には豊かな社会が到来していたが、同時にさまざまな矛盾も噴出していた。既存の体制や権威に異を唱えた一群の大学生たちは、キャンパスや街頭で過激な闘争を繰り広げた。学生運動が、燎原(りょうげん)の火のごとく全国各地で勃発していた。そんな時代だった。

 5月に20歳になったばかりの江夏もまた、激しい闘争心を左腕に込めて打者と対峙(たいじ)する日々を送っていた。林義一投手コーチ指導の下、春季キャンプで徹底した投げ込みを行った江夏は、一回り大きな投手に成長した。課題の制球難を克服し、小さく鋭く曲がるカーブを会得。持ち前の剛速球はさらなるうなりを上げて捕手のミットに収まった。

 その成果は奪三振数となって現われた。江夏は開幕からイニングをはるかに上回るペースで三振を奪い続けた。8月8日の中日戦(中日)ではリーグタイ記録の・・・

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