4連敗目前の延長11回裏
1995年の日本シリーズ、敵地・神宮球場での第4戦(10月25日)を前に、オリックス・ブルーウェーブは絶体絶命のピンチに陥っていた。ここまで3連敗を喫していたからである。第4戦にも敗れれば、1つの白星も得ぬまま、シリーズ敗退が決まるという状況だった。
この年1月、日本を未曽有の災害が襲った。
阪神・淡路大震災。オリックスの地元・神戸も被害を受け、人的にも物的にも多くのものが失われた。それでも前を向いて歩かなければならない被災者の思いを背負い、オリックスは一丸となって躍動した。「がんばろうKOBE」をスローガンに勝利を重ねた青波軍団は、阪急時代の84年以来となるリーグ優勝を成し遂げたのだった。
相手はヤクルトスワローズ。知将・
野村克也に率いられ、93年には日本一を達成したチームは、今や王者の風格さえ漂わせる存在だった。世間はオリックスびいきだったが、ヤクルトもプロである。勝利にかける思いは同じだった。第4戦も先発・
川崎憲次郎の好投が光り、1対0とヤクルトリードで9回表を迎えた。
しかしオリックスは、簡単に負けるわけにはいかなかった。先頭の
小川博文が川崎の122球目となるストレートをとらえてレフトに同点アーチを放った。試合は振り出しに戻り、3戦連続となる延長戦に突入した。
10回裏、オリックスのマウンドには小林宏が立った。本来ならば第5戦の先発を任される予定だったが・・・
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