一塁走者の辻は、次打者・秋山の中安打で進塁。伊原コーチの指示を信じて三塁を躊躇なく通過し、ホームインする
まずは中飛で二塁走者が生還
のちに「伝説の走塁」と呼ばれ語り継がれることになるプレーの伏線は、そのずっと前から張られていた。
1987年当時、地上波のテレビで毎試合全国中継されていた
巨人戦は、土日でもナイトゲームが主だった。一方、パ・リーグの試合はデーゲームが中心。そのためパ球団の関係者たちは、試合後に自宅や宿舎で巨人戦の中継を見ることができた。
この年のセ・リーグは巨人が独走していた。日本シリーズの対戦相手になるだろうと思っていた
西武の守備走塁コーチ・
伊原春樹は、特に熱心に巨人戦中継を見続けた。
巨人の中堅手・
クロマティの「癖」に伊原が気付いたのは、そんなある日だった。クロマティは、フライを捕球すると常に緩慢な送球をするのだ。走者がいる場面だと多少素早くはなるが、それでも「ホワ〜ンとした」(伊原)ものであることに変わりはなかった。この年打率.300、28本塁打を記録する強打の元大リーガーも、守備の意識は低かった。これは生かせるな、と伊原は思った。
予想どおりセ・リーグの覇者は巨人。そして2位・阪急に9ゲーム差をつけてリーグ3連覇を成し遂げた西武と日本一をかけた戦いが行われることになった。
森祇晶監督からチームの守備走塁を一任されていた伊原は、シリーズ前のミーティングで言った。
「クロマティのところに打球が行ったら・・・
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