初の前後期プレーオフを制して1973年のリーグ優勝を決めた南海ホークス。中央が野村克也兼任監督だ
優勝争いが年に2回ある
セ・パ両リーグにCS(クライマックスシリーズ)が導入されたのは2007年。今年で18年目を迎えた。この制度については、いまだに異論や反論がしばしば取り沙汰される。理由は言うまでもない。シーズン2位や3位のチームが日本シリーズに進出する可能性があるからだ。まるでシーズンの結果がないがしろにされているかのように思う関係者やファンが、一定数いるのは間違いない。
もちろん制度上決まっていることなのだから、2位や3位のチームが日本シリーズに出ることになんの問題もない。選手やファンは胸を張るべきだ。ただし、両リーグの優勝チームが覇権を争ってこそ日本シリーズであると考える人たちが、そこに不条理を感じる気持ちも理解できる。2位以下に大差を付けてリーグ制覇を果たしたのに、日本シリーズに出られなかったとしたらなおさらだ。3位同士の決戦ともなれば、白けてしまう人たちも少なくないだろう。
今回は1973年にパ・リーグで独自に導入され、85年まで続いたプレーオフ制度を振り返りたい。現在のCSについても考えるヒントがあるかもしれない。
72年11月9日、パ・リーグ理事会は2シーズン制導入を正式に決定、プロ野球実行委員会に提案し、了承された。シーズンを前期と後期(各65試合)に分け、それぞれの優勝チームが5試合制のプレーオフを行い、その勝者をリーグ優勝とするというものである。
導入の大きな理由は・・・
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