
1937年、春季優勝の巨人を秋季優勝の大阪タイガース[現阪神]が、年度優勝決定戦で破った
打撃投手が3歩前から
日本職業野球連盟(現NPB)が設立されて2年目にあたる1937年、春季リーグ戦開幕を前に、大阪タイガース(現阪神)主将で主力打者の
松木謙治郎は燃えていた。どうしても打倒しなければならない相手がいたのだ。その名は
沢村栄治。巨人のエースである。
36年12月、大阪は年度優勝を決める巨人との3連戦に挑むも、沢村の好投の前に1勝2敗で敗れていた。球界随一と呼ばれた沢村の快速球に大阪打線は抑え込まれた。9月25日の対戦(甲子園)では、NPB史上初のノーヒットノーランを喫する屈辱を味わっている。沢村を攻略しなければ、大阪の優勝はあり得なかった。
松木には「打倒・沢村」の秘策があった。明大時代、早大の速球派エース・伊達正男を攻略するため、打撃投手にマウンドの2歩前から投げさせたことがあった。これでスピードに慣れた明大打線は、伊達を打ち砕いた。その練習を応用しようとしたのである。松木の提案に、石本秀一監督はうなずいた。そして報道陣を締め出しての秘密練習が、寒風吹きすさぶ甲子園で始まった。
打撃投手はマウンドから3歩(およそ2メートル)前から全力で速球を投げた。いつもと勝手が違う練習に選手たちは面食らった。「これでは打撃フォームが崩れる」と石本に進言する者もいた。しかし石本は「そんな気の弱い奴はユニフォームを脱いだらいいけ!」と
広島弁で怒鳴りつけた。
当初はバットにかすりもしなかったが・・・
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