
写真は法大OBで東京鉄道局監督、プロ野球審判を経て国鉄の初代監督に就任した西垣徳雄[中央]と、楠見幸信総監督[右]。寄せ集めのチームだったが、意外と最下位は少なかった
国鉄の急行の中で球団設立の話が浮上
国鉄スワローズ(現
東京ヤクルトスワローズ)が誕生したきっかけは、その名にふさわしく列車の中だった。
1949年11月7日、日本野球連盟審判の西垣徳雄は、甲子園で行われた東西対抗戦での仕事を終え、東京行きの急行列車に乗った。そこで思わぬ人物に出会った。国鉄(日本国有鉄道)総裁の加賀山之雄である。加賀山は、西垣が東京鉄道局野球部監督だったころの総務部長で、親しい間柄であった。
「総裁、ご無沙汰しております」
「やあ、西垣君。隣りに座りたまえ」
久しぶりに再会した2人は、話に花を咲かせた。加賀山は軟式チームを主宰し、投手を務めたほどの野球好き。自然と話題はそれになった。
「総裁、国鉄は管理局ごとに野球チームはありますが、全国職員の士気高揚のために、プロ野球チームをお持ちになったらいかがでしょうか」
西垣は何の気なしに言ったつもりだった。だが・・・
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