
写真は1月31日深夜。阪神からドラフト1位で指名された江川は一旦阪神と契約し、それから小林とのトレードで巨人に移籍するという形でこの問題は決着したが、日本中から批判を浴びた
江川になら何を言ってもいい?
作家・海老沢泰久に『嫌われた男』という作品がある。ドラフト外で巨人に入団し、同僚との付き合いを犠牲にしてまで練習に励むことで主力投手の座をつかむも、チーム内で浮き上がってしまった
西本聖を描いたノンフィクションだ。
しかし西本の場合、「嫌われた」のはあくまで巨人内でのこと。それで言えば、ライバル関係にあった
江川卓は、西本よりもはるかに「嫌われた男」だった。その射程はチームを超え、日本全体にまで広がっていたからである。
作新学院高、法大で輝かしい実績を残し「怪物」と呼ばれた剛腕投手・江川が巨人に入団した経緯は、クリーンさとはかけ離れたものだった。ドラフト制度の盲点をついた「空白の一日」(1978年11月21日)から、阪神「入団」約8時間後に巨人にトレードされるまで(79年1月31日)、その動きは不透明のひと言に尽きた。そしてこの72日間で、江川は完全な「悪役」になった。自分勝手、わがまま、そこまで自分の思いどおりにしたいのか……。スポーツ新聞、週刊誌は言うに及ばず、一般紙までもが激しい言葉で江川を批判したのである。
巨人入団までの流れに「大人の論理」が働いていたことは明白で、その意味では江川も犠牲者だったと言えるが、当時の世間はそう見なかった。憎悪にも似た怒りが、23歳の青年に容赦なく降り注がれた。
同年2月1日、後援者である船田中(衆議院議員)の事務所で江川の入団会見が行われた。そこでの冒頭のひと言も・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン