
日本野球連盟会長・鈴木龍二[中央]の仲介で、国民リーグ・大塚アスレチックスのオーナー・大塚幸之助[右]は金星を買収した。左は金星オーナー・橋本三郎
アメリカの2大リーグを目指す
1936年2月5日。この日、日本職業野球連盟が誕生した。現在のNPBである。以来NPBは戦時中の休止、50年のセ・パ分立を経ながら、今日に至るまでプロ野球興行のメインストリームとなっている。
令和の現代、日本各地に独立リーグが存在しているが、はるか昭和の昔にもNPB以外の「プロ野球」がなかったわけではない。NPB誕生と同年の36年11月には新日本専門野球連盟が結成され、リーグ戦が行われている。ただし、リーグといっても所属球団はイースタン東海とセントラル・シティー中京の2球団のみで、選手のレベルも低かったことから、すぐに消え去った。
もっとも本家のNPBにしたところで、アマチュア野球こそが本流であり、プロなど邪道と考えられていた戦前は、どの球団も経営に苦しんだ。ようやくいくばくかの利益が出始めたのは戦後になってからで、一見華やかなプロ野球も、興行として成り立たせるには長い時間と多額の投資が必要だった。
そんなプロ野球事業に、太平洋戦争終結の翌年、新たに挑戦した男がいた。名は宇高勲。自動車のクラクション製造により一代で財を成した、言わば「新興成金」だった。プロ野球人気が高まりつつある世相に敏感に反応した宇高は、新球団結成を画策する。そして46年6月、NPB(当時の名称は日本野球連盟)に加入を申請した。
しかし会長の鈴木龍二は・・・
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