
敬遠のつもりで投じたボールがまさかの暴投となり、試合はサヨナラ負け。阪神の投手・小林は呆然と座り込んだ
2回一死から20人連続アウト
例えば同点で試合は終盤、ランナー二塁。好調の四番に打順が回る。観客は一打勝ち越しの期待を込めて拍手を送り、歓声を上げるが、どうも様子がおかしい。四番は打席に立つことなく、ゆっくりと一塁に駆け出した。申告敬遠だ。歓声は、やがてため息やブーイングへと変わる。プロ野球のファンであれば、誰もが繰り返し見た光景であろう。
敬遠自体は昔からあるが、NPBにおいて申告制になったのは2018年からである。それまでは、投手は立ち上がった捕手に向かって山なりのボール球を4つ投じなければならなかった。ほとんどの場合、打者は現在と同じように何事もなく一塁に進む。それでも「ボールを投げる」以上は、予定調和的な結末に落ち着かないこともなくはなかった。
敬遠策に憤り、抗議の意味でバットを逆さに構えた打者がいた。バットを持たない打者もいた。わざと空振りをする打者がいた。集中力を切らさず、甘く入った球をスタンドまで運んだ打者もいる。ベンチの指示に納得がいかず、敬遠球すべてが本気のストレートだった投手がいた。マウンドで悔し涙を流した投手もいた。そんなドラマが、かつてはグラウンド上で展開されたのであった。
1982年4月3日、横浜スタジアムで大洋対阪神の開幕戦が行われた。球場には野球を待ちわびた2万8000人の観客が詰め掛けた。敬遠にまつわる、ある「物語」が生まれたのはその日のことだった。主人公の名は
小林繁。阪神の先発である。
79年開幕前・・・
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