
福岡から所沢に移転して1年目の西武ライオンズは開幕12連敗を喫し、ヒゲがなかったころのルーキー・松沼博久投手[写真]が先発した4月24日の南海戦[西武]で初勝利となった
福岡から移転した新生ライオンズ
春季キャンプ、オープン戦とシーズンに向けて準備を重ねたチームが、門出となる開幕戦を勝利で飾る。監督や選手にとって、その1勝は格別なものだろう。開幕戦こそ落としたチームも、2つ、3つと試合を重ねれば、やがて白星をつかむ日がやってくる。そのとき「やっと『開幕』を迎えた」とホッとするファンも多いはずだ。シーズン初勝利は、関係者にとってもファンにとっても、さあペナントレースが始まったと思わせる特別なもの。そんな初勝利の味を、開幕から実に17日間も味わえなかったチームがあった。
1978年オフ、西武グループはクラウンライターライオンズを買収し、本拠地を福岡から所沢に移した。西武ライオンズの誕生である。新たに生まれ変わったライオンズは、
阪神の主砲・
田淵幸一や、
ロッテの名二塁手・
山崎裕之をトレードで獲得。ドラフト1位でノンプロ屈指の右腕・
森繁和(住友金属)を指名し入団させると、ともに実力派投手の松沼博久(東京ガス)、
松沼雅之(東洋大)兄弟をも、
巨人との争奪戦を制してドラフト外で手中に収めた。監督でありながら球団管理部長も務めた
根本陸夫の手腕が光り、戦力は整いつつあった。
そんなチームがつまずいたきっかけは、53日間にも及んだ海外キャンプである。79年2月9日にアメリカに向け出発した一行は、フロリダ州ブレイデントンでキャンプを張ったが、グラウンドは一面しか使えず、守備も打撃も満足な練習ができなかった。「これでいいのかなという程度の練習で、社会人時代のほうがまだ練習はきつかった」と森は語っている。対戦相手の確保にも苦慮する有様で、心身ともに疲弊しただけの選手たちは4月3日に帰国した。開幕4日前である。この年の西武は・・・
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