週刊ベースボールONLINE

あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1990年4月25日>野球部解散、血行障害……。苦労人が花を咲かせた平成初の無安打無得点試合

  0

東京ドーム開場から3年目。平成初、ドーム球場初のノーヒットノーランは、ベテラン右腕・柴田[日本ハム]が猛打の近鉄を相手に達成した


高校時代は柔道部から軟式へ


「今日のオレはこれだよ」

 男は、そう言って東京ドームの選手サロンに置いてあった洋梨のプリンをつまんだ。洋梨と「用なし」をかけたのだ。1990年4月25日。近鉄との一戦を前に、そんなジョークを飛ばした男の名は日本ハムの柴田保光。プロ12年目、32歳のベテランである。柴田はその日の先発投手だった。

 シーズン3試合目の登板だったが、柴田はすでに2勝を挙げていた。前回登板のダイエー戦(4月17日=平和台)では1失点完投の好投を見せている。百戦錬磨の右腕の調子は良く、だからこそ洒落(しゃれ)になる冗談だった。

 ただし、試合前のブルペンではボールが走らなかったのも事実だった。(何回まで持つかな……)。だからこそ、柴田は思った。丁寧にコーナーを突こう。その意識が功を奏し、柴田は初回、強力「いてまえ打線」を三者凡退に切って取った。

 当時不人気だったパ・リーグの試合。しかも平日のナイターだというのに、球場には3万9000人の観客が詰め掛けた。完成からまだ3年目、日本唯一のドーム球場には、いまだに新鮮さが残っていた。そんな「大舞台」にふさわしい快投を、柴田はこの後も繰り広げることになる。

 少年時代からボールに親しみ、甲子園常連校や名門大学、社会人野球の強豪で頭角を現す。それが一般的なプロ野球選手の姿だろう。それで言えば、柴田は・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

この記事はいかがでしたか?

あの日、あのとき、あの場所で

あの日、あのとき、あの場所で

球界の記念日にタイムスリップ

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング