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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1996年7月20日>古巣で故郷の福岡に凱旋! ファンのために打ったオールスター代打3ラン

 

ヒーローインタビューの当初は冷静に受け答えしていた近鉄・山本だったが、途中から言葉に詰まった


近鉄から南海に拾われ、ダイエーを自由契約に


 1982年12月、外野手の山本和範は6年間所属した近鉄から戦力外通告を受けた。25歳のときである。77年に戸畑商高からドラフト5位で入団したときは投手だった。が、わずか1週間でコーチの仰木彬から「クビ」を言い渡されて野手に転向。その打撃センスに首脳陣は期待をかけるも、一軍では結果を残せなかった。6年間で記録した安打はわずか6本。82年は一軍出場が1試合もなかった。

 それでも現役をあきらめるつもりはまったくなかった山本に、同じ福岡出身で仲が良かった久保康生(現巨人巡回投手コーチ)は、知人が経営するバッティングセンターを紹介した。山本は住み込みで働きながら、客がいないときは軟式球をひたすら打ち込む日々を過ごした。

 捨てる神あれば拾う神あり。必死でバットを振る山本に、近鉄と同じく大阪が本拠地の南海(現ソフトバンク)から連絡があった。83年から指揮を取る穴吹義雄は、二軍監督時代から山本を高く評価していたのだ。「お前さんの元気のよさで南海ホークスを変えていこうや」。穴吹の言葉に感激した山本は誓った。

「穴吹さんの期待を絶対に裏切ったらあかん。絶対『べった』(どん尻)からはい上がってみせたる。それも『天辺(てっぺん)』まで上り詰めてみせたるわい」

 こうして移籍した南海で、山本の才能は開花した。猛練習を重ね、移籍2年目の84年途中からレギュラーに定着。以降は四番・門田博光の前後を担う主力打者となった。88年には、規定打席にわずかに届かなかったものの・・・

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