
ライバルと思っていた巨人・堀内から逆転満塁サヨナラ本塁打を放った中日・広野は、雲の上を歩くような気分でダイヤモンドを回った[67は巨人の遊撃手・黒江透修]
俺は誰にも打たれない
1966年7月、球宴休みの期間に、中日スポーツの企画でセ・リーグの新人対談が行われた。巨人の
堀内恒夫と中日の
広野功である。その席上、広野は堀内に腹が立って仕方がなかった。肩で風を切って現われた堀内は「広野って誰だよ」と言わんばかりの横柄な態度を取ったからだ。前年秋に初めて実施されたドラフト会議の同期とはいえ、甲府商高から1位で入団した堀内は、慶大から3位で入った広野の4学年下にあたる。厳しい上下関係が当たり前の世界で育ってきた広野にとって、それは許しがたい態度だった。
実際、堀内は1年目の自分の態度を後年「生意気だったと思う」と振り返っている。しかし、それは仕方のない面もあった。プロは結果がすべてとよく言われるが、堀内はこれ以上ないレベルの「結果」を残していたからである。
4月14日の中日戦(中日)でプロ初登板&初先発を果たした堀内は、6回を2失点に抑えると、幸先よく初勝利を手に入れた。そして5月30日の大洋戦(川崎)からは、3試合連続完封勝利という驚異的な投球を披露する。雑誌の企画でストレートを計測したところ、その球速は155キロに達した。幼少期の事故で右手人差し指の先端が欠損したことから独特の回転が生じたカーブは大きく曲がり、鋭く落ちた。つい数カ月前まで高校生だった投手のボールに、経験豊富な打者のことごとくが苦しんだのだった。
なんだ、プロってこの程度か。いつしか「悪太郎」と呼ばれるようになった堀内の言動は・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン