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あの日、あのとき、あの場所で 球界の記念日にタイムスリップ

<1984年1月13日>ミスターに背中を押され、左腕・新浦の韓国球界への転身が事実上、決まる

 

巨人時代の新浦[右]は1976年、50試合に登板し11勝。翌77年は最優秀防御率のタイトルを獲得するなど、長嶋監督の連覇に貢献した


長嶋監督に酷使され……


 1975年、監督就任1年目の長嶋茂雄率いる巨人は、球団創設以来初の最下位に転落した。そんなチームにあって、負けても負けても投げ続けたサウスポーがいた。新浦壽夫である。

「ノミの心臓」と揶揄(やゆ)され、登板するたびに観客席からはヤジが飛んだ。新浦自身、二軍に落としてくれと思ったこともあったという。それでもその潜在能力を見抜いていた長嶋は、24歳の左腕をマウンドに送った。

 結局、シーズン成績は2勝11敗に終わったが、この年が新浦にとっての転機となる。翌76年は50試合に登板し11勝を挙げてリーグ優勝に貢献。77、78年と2年続けて最優秀防御率のタイトルを獲得する活躍を見せ、小林繁と並ぶ主戦投手の地位を確立した。

 働き場所は先発・リリーフを問わなかった。第1次長嶋政権は80年まで6年続いたが、この間に新浦は速球と大きく曲がり落ちるカーブを武器に257試合に投げ(うち先発は102試合)、57勝35セーブという数字を残している。酷使と言える起用であったが、長嶋監督のためなら故障しても構わないという心境だった。そしてチーム最多の15勝をマークした79年オフ、新浦の年俸は堀内恒夫を抜いて巨人投手陣のトップに躍り出た。

 だが、酷使のツケは否応もなく訪れた。80年、小林とのトレードにより入団して2年目の江川卓が16勝で最多勝に輝く一方、左肘痛に悩まされた新浦は3勝に終わった。

 81年から藤田元司が監督になると、世代交代は加速していく。江川、西本聖定岡正二が投手陣の主力を形成し、新浦の出番は・・・

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