
福岡のクラウンライターが所沢に移転し、西武となった1979年にトレードで移籍した山崎。82、83年の連覇に主力として貢献した
「長嶋二世」と呼ばれた高校生の大型遊撃手
上尾高1年生の
山崎裕之が、埼玉県営大宮公園野球場のバックスクリーンにホームランを叩(たた)き込んだのは、春の県大会準々決勝でのことだった。
この一発が、その後の人生を決めたと言ってもいい。山崎のホームランは、佐倉一高(現佐倉高)3年時に同じ球場の同じ右打席から同じ軌道のアーチを描いた、あるスーパースターの姿を人々に連想させた。
長嶋茂雄(
巨人)である。山崎が「長嶋二世」と呼ばれるようになるのに、そう時間は掛からなかった。
10年に1人と言われた超高校級の逸材を得ようと、
広島を除くNPB11球団が動いた。当時は現在と違い、自由に選手を獲得できた時代である。各球団のスカウトによる山崎争奪戦は熾烈(しれつ)を極めた。連日の「上尾詣で」など当たり前。あるスカウトは、わざわざ上尾市内に部屋を借り、そこを本拠地とした。地元のタクシー運転手を買収し、まるでスパイのように他球団の動向を探らせたスカウトすらいたという。
1964年11月、山崎は早くから注目してくれた東京オリオンズ(現
ロッテ)に入団する。大きな話題になったのは、その契約金であった。大卒銀行員の平均的な初任給が2万3000円だった当時、激しい獲得競争により吊り上がった山崎の契約金は・・・
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