
私財を投じて東京スタジアムを建設したオリオンズの永田オーナーは選手たちから慕われ、ファンからも親しまれていた[写真は1970年のリーグ優勝時]
「永田ラッパ」はワンマン社長
1970年10月7日。
ロッテオリオンズは本拠地の東京スタジアムで西鉄(現
西武)に勝利し、大毎時代の60年以来10年ぶりにパ・リーグのペナントを手にした。厳密に言えば、試合終了の少し前に2位の南海(現
ソフトバンク)が敗れたことで優勝は決まっていた。それでも2万6000人の観客の興奮が頂点に達したのは、
木樽正明がラストバッターの
宮寺勝利を三塁ゴロに打ち取った瞬間だった(5対4)。
歓喜と熱狂に包まれたファンは、次々とグラウンドに飛び降りた。その数は、わずか5分で3000人に及んだという。彼らが真っ先に駆けつけて胴上げしたのは、67年途中から指揮を執り、若手を育て優勝を成し遂げた
濃人渉監督……ではなかった。メガネにチョビひげ、小柄な体躯の老人が宙を舞った。その名は永田雅一。オリオンズのオーナーである。
ファンにもみくちゃにされたことで、新調したブレザーのボタンは引きちぎれてしまった。それでも、永田は喜びに声を震わせた。
「こんな大きな感激がほかにあるか。ワシはこの日を、この瞬間を今年こそ、今度こそと10年間待ち続けてきた。ひと口に10年と言うが、本当に長い年月だった……」
ロッテは、続く
巨人との日本シリーズに敗れた。念願の日本一は果たせなかったが・・・
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