
この写真は1973年7月18日、阪神対ヤクルト戦[甲子園]でプロ初勝利を先発完投で飾ったときの小林国男[右は捕手の奥宮種男]写真=産経新聞社
終盤になると崩れるエース
三原脩は、昭和のプロ野球を代表する名将である。1949年に
巨人を戦後初の優勝に導き、その後は西鉄(現
西武)監督に転身。個性派ぞろいの「野武士軍団」を率いて、56年から3年連続日本一に輝く黄金時代を作り上げた。そして60年に大洋(現
DeNA)監督に就任するや、それまで6年連続最下位の弱小球団は、いきなりリーグ優勝と日本一を達成した。
優れた観察眼と洞察力を持ち、人心掌握術にも長け、時に常識を超えた用兵で勝利を重ねたことから、ついたあだ名は「魔術師」。その影響力は現代にまで及んでいる。2023年のWBC優勝監督である
栗山英樹は、三原が書き残したノートを読み、大いに参考にしたという。
そんな三原が、球団創設以来一度も優勝がないヤクルトに三顧の礼で迎えられたのは、1971年であった。その手腕に期待が集まったが、71年は6位、72年は4位と結果を残すことができなかった。ヤクルトは73年も開幕直後から大型連敗を続け、5月22日の段階で6勝20敗2分けと大きく負け越し、最下位に沈んでいた。
名将も、ついに老いたか。観客席からは三原への罵声が飛び、監督休養説まで出る有様だった。61歳の三原は苦しんでいた。
特に頭を悩ませたのが・・・
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