
当日の試合の写真は弊社に残されていない。「物干し竿」と呼ばれた長いバットを持って打席に入る1956年の藤村
長嶋茂雄に影響を与えた
阪神(当時は大阪)タイガースの主力打者・
藤村富美男が、97センチという通常よりも10センチ近く長いバットを使い始めたのは、1949年からだった。
「物干し竿」と呼ばれた長尺バットの由来は諸説ある。剣豪・佐々木小次郎が同名の長太刀を使った逸話にヒントを得たとも、ある日庭先に置いてあるゴルフのドライバーを見てひらめいたとも。いずれも藤村に言わせれば「みんな面白おかしく、自分でもビックリするほどうまくできている」という話になる。
真相はともかく、確かなのは1つ。この「物干し竿」により、藤村の打撃が劇的に向上したことだ。身長173cmの藤村は、長尺の獲物を自在に操るため、漬物石を持ち上げて腕力を鍛え、深夜までバットを振った。その結果、それまで右打ちがうまい巧打者タイプだった藤村に、遠心力を生かした長打が備わった。
49年に藤村が残した成績は、打率.332、46本塁打、142打点。本塁打王と打点王の2冠に輝いた。特に本塁打数は、前年に
川上哲治と
青田昇(いずれも
巨人)がマークしたNPB記録の25本を大幅に上回る新記録だった。この年、阪神は8球団中6位に沈んだが、その驚異的な打棒により、藤村は異例のMVP受賞を果たしている。
翌50年、プロ野球はセ・リーグとパ・リーグに分かれた。選手の引き抜きが横行し、阪神からも
若林忠志、
別当薫、
土井垣武ら主力選手5人が新興球団の毎日(現
ロッテ)に移籍した。そんな中でも、阪神に残った藤村は言った。
「出た者が勝つか、残ったわしが勝つか、勝負じゃ」
そして藤村は、50年に打率.362(首位打者)、39本塁打、146打点という前年並みの好成績を挙げた。この年記録した191安打は・・・
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