
1998年に横浜[現DeNA]を38年ぶりに優勝させた「マシンガン打線」。この試合は「突貫小僧」こと波留[中央]のサヨナラ中越え安打によって幕を閉じた
長打に頼らず連打で勝つ
「水爆打線」「ミサイル打線」「いてまえ打線」「ビッグバン打線」……。日本プロ野球の歴史には、ニックネームがついた打線が数多くある。その中でも、1998年にリーグ優勝と日本一を果たした横浜ベイスターズ(現DeNA)の「マシンガン打線」は、とりわけ秀逸なネーミングだと言えるだろう。兵器という意味では「水爆」や「ミサイル」と変わらない。しかし迫力は伝わるが、どこか抽象的なそれらと違い、横浜の「マシンガン」は、その名のとおりの打線であった。
98年の横浜のチーム本塁打数は、リーグ3位タイの100本。チームトップは
ロバート・ローズの19本と、一発の威力は乏しかった。それでもマシンガンさながらに、打線は一度打ち出したら止まらなかった。1試合平均9.6安打を記録したチームの打率は、リーグ1位の.277。チーム得点642は、リーグ最多の148本塁打を放った
巨人の632を上回り、これもリーグトップだった。この年の横浜打線が、いかにホームランに頼らずとも攻撃力抜群だったかが分かる。
そんな「マシンガン打線」のすさまじさを象徴する試合がある。98年7月15日、本拠地・横浜スタジアムで行われた巨人との16回戦だ。
97年、7〜8月に驚異的な追い上げを見せながらも終盤失速して2位に終わった横浜は、「今年こそは」と38年ぶりの優勝を目指して燃えていた。序盤こそもたついたものの、6月20日の
広島戦(函館)に勝って首位に立った。一方、4ゲーム差で横浜を追う3位・巨人も、優勝戦線に残るためには負けるわけにはいかなかった。
1回表、巨人は四番・
清原和博の3ランを含む4点を挙げると、3回表にも3点を追加し、横浜先発の
斎藤隆をKOした。これで0対7。試合は、早くも一方的な展開を見せた。
それでも、この日二番・センターで出場していた
波留敏夫は、まったくあきらめていなかった。横浜は、7月12日の
中日戦(帯広)で9回裏に6点差を追いついて引き分けに持ち込み、前日の巨人戦(横浜)でも
石井琢朗のサヨナラ打で勝利するなど、チームの状態が良かった。1点を取れば・・・
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