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【1971年8月1日】大沢親分率いるロッテ、8ゲーム差を詰めて首位・阪急に肉薄したが……

 

ロッテと長期契約を結んだ大沢監督は将来の常勝軍団をつくるためにベテラン選手を放出するなど、チーム改革に着手した


「今のロッテは昔のロッテと違う」


 1971年7月23日、2位のロッテは首位を走る阪急(現オリックス)と東京スタジアムで対戦、前日の4対14に続き、2対11という大差で敗れた。これでゲーム差は8。前年に強力「ミサイル打線」を擁して優勝したロッテのリーグ連覇は、絶望的となった。

「明日の東映(現日本ハム)戦から気持ちを入れ替えて頑張ろう」。試合終了直後、そう言ってロッテナインを鼓舞した濃人渉監督が、この年からオーナーに就任した中村長芳に呼び出されたのは、それからおよそ30分後のことだった。濃人は、その場で二軍監督への降格を告げられた。中村は、采配面での疑問が目立つ濃人を、もともと評価していなかった。そして阪急相手に無様(ぶざま)な連敗を喫したことで、即決主義を標榜(ひょうぼう)するオーナーの堪忍袋の緒が、ついに切れたのだった。

 代わりに一軍の指揮を執ることになったのが、それまで二軍監督だった大沢啓二である。39歳の新監督は、後年テレビでもお馴染(なじ)みとなる「べらんめえ口調」で、選手たちに「手前ら、ファイトを見せろ!」と檄(げき)を飛ばした。加えて長打力頼みだったチームに、選手時代を過ごした南海(現ソフトバンク)仕込みの機動力野球を導入し、盗塁やヒットエンドランを積極的に仕掛けた。

 これが当たった。大沢の監督就任翌日、24日からの対東映3連戦(東京)で、ロッテは3連勝した。すべてが逆転勝利であった。続く対近鉄3連戦(東京)も2勝1敗と勝ち越す。勢いに乗る大沢ロッテは、阪急への追撃態勢を整えた。一方、追われる立場の阪急は投打の歯車が狂い始めていた。この間、まさかの4連敗。ロッテとのゲーム差は、4に縮まっていた。

 7月30日、大沢ロッテは・・・

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